タンゴルネッサンスはプグリエーセから

門奈さんは、
「まずは、タンゴ演奏家を増やすことがタンゴを次世代へ継承するのに必要不可欠なこと」
として、アストロリコを1991年に結成しました。演奏家を増やして、演奏会の機会を増やさなければ聴く機会は増えない、つまり、タンゴの存在さえ知って貰えないからです。そこで、演奏家を増やすには、まずは、楽器をプロレベルで演奏している人にタンゴを演奏してみたいと思って貰うことが必要。そのためには、古典タンゴよりもまずはピアソラのタンゴの方が違和感なく受け入れられ、きっとこの音楽を演奏してみたいと思うに違いないという気持ちから、その頃は一般的にはほとんど知られていなかったピアソラの音楽を生まれたてのアストロリコでたくさん演奏しました。そして、マイクをつかわない生の楽器の音を伝えることにも努力したわけです。アストロリコといえば、ピアソラというイメージが今でも強くあるらしいのですが、それは、そういったことからでしょう。ピアソラ没後一周忌には、当時は10年早いと言われたクラシックの室内オーケストラとの共演でピアソラのメモリアルコンサートもしました。
その5年後、ピアソラブームが到来するわけです。その頃、門奈さんは、散々演奏してきたピアソラをアストロリコでは少なくしていきました。そして、オルケスタ・ティピカの編成で演奏ができるまでに楽団が大きくなったこともあり、タンゴファン以外の音楽ファンもピアソラブームの影響でタンゴを知って貰った今は、いよいよ、タンゴルネッサンス!それはプグリエーセである、としたわけです。
アストロリコではオルケスタ アストロリコとして1995年あたりから、ピアソラと平行してプグリエーセ楽団やそのエッセンスを持ったコロールタンゴのレパートリーを取り上げ始めていました。ピアソラの音楽を知って、タンゴを気に入った音楽ファンへ次ぎに提供すべきタンゴは大編成で力強いプグリエーセ楽団の音楽だ!と。
門奈さんの言っていることが次々に現実化していきます。2000年に入ってしばらくすると、アルゼンチンの若手ミュージシャン達からいくつものプグリエーセ楽団を意識して模範とした演奏楽団が産声を上げ始めました。今では、日本の若手タンゴ演奏家もオルケスタ編成を作るようになり、ピアソラ以外のタンゴもたくさん取り上げるまでになってきています。
タンゴルネサンスの舞台裏:
アストロリコデビュー当時は、全体の5%くらいの割合でピアソラを演奏しても、タンゴファンのお客様からはプログラムにピアソラの曲が多すぎる!っとお叱りを受けたりしたこともありました。それでも、徐々に増やしていって、やっとピアソラブームが到来した、と思ったら、次ぎはまた、一般の音楽ファンには知られていないプグリエーセ楽団のスタイル。本当に、苦労の「タンゴ開拓団」です。が、ピアソラに共感されたお客様には、プグリエーセ楽団のスタイルはすぐに共感してもらえて、苦労の甲斐があったというものです。
ピアソラと平行して、デビューのときから演奏していたスタイルでロビーラ・アレンジの「エル・チョクロ」などがあります。これは、演奏し終わっても「エル・チョクロ」のリクエストが来るほど、斬新なアレンジで「エル・チョクロ」だと気がついてもらえなかったりもしました。
そういえば、私自身、タンゴを本気で演奏するきっかけとなったのは、門奈さんから聴かせてもらったピアソラの音楽と「コロールタンゴ」が演奏する「センチメント・ガウチョ」でした。
ジェット旅客機もハイブリッドに…
名付けて、プロの
と
(「黄金の左手」と称されるバンドネオン奏者)による「プロメテ」。★★★*平凡な小ネタから、驚きの大ネタまで。ネタの大小の判断は、個人差があります。
まずは、手始めに・・・
門奈:ジェット旅客機も、早くハイブリッド機にしなくては!
その翌日、新聞に「ハイブリッドのロケット開発中」の記事が…!
近い将来「ハイブリッドのジェット旅客機も夢ではない!」という思いでした。
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