アストロリコの由来

アストロリコという楽団名の由来の質問をよく受けます。
コンサートのステージでは、しっかりご説明できないので、
ここでご紹介しちゃいますね。

アストロリコは、リーダーの門奈さんのスペイン語造語です。
アストロ=天体、 リコ=豊かな(英語のリッチ)
で豊かな天体、すばらしい天体 という意味になります。

単純に言ってしまえば、これで終わりなんですが、大事な名前が
この中に3つ、合体しているのです。

アストル・ピアソラ のアス、 アニバル・トロイロのトロ、レオポルド・フェデリコリコ

門奈さんが敬愛してやまない3人のバンドネオン奏者(優れた作曲家でもある)の名前です。
この3人は、タンゴを知る人なら誰でもが最大級の尊敬をしている人たちでもあり、
アルゼンチンに演奏旅行したときは、「すばらしい天体」よりも、こちらの由来に
かなり注目され、アルゼンチン人もみんな大喜び。

「この素晴らしい3人が、彼らのすばらしいタンゴ(演奏・作品)で僕の生きている
この世界、つまり、この天体全体をより豊かなものにしてくれた」

という門奈さんの思いが込められています。

アストロリコが結成された1991年当時は、まだまだ今よりもずっとタンゴがマイナーな
存在でした。もちろん、知っている人は知っている! 状態ですけど。
門奈さんは、21世紀にタンゴを繋いでいくために、タンゴ草の根運動の行動隊のような
感じで結成したのがアストロリコです。次世代のタンゴミュージシャンを育てて、こまめに
生演奏を聴く機会を増やしていかないと、タンゴを聴く人口も増えないし、タンゴという
音楽に出会う機会がないと新たなるタンゴミュージシャンも出現の可能性が低い。
そういうことなんです。

そして、楽団名は「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」「カウント・ベーシー楽団」など
のようにリーダーの名前がつくのが、慣習になっていました。アストロリコもデビュー前、
門奈さんが楽団名を決められたときに、みんなでお願いしました。
「門奈紀生とアストロリコ」とか、門奈さんの名前を冠につけてください、って。
なぜなら、門奈さんはすでに超有名なバンドネオン奏者で、タンゴ通なら知らない人は
いないくらいの存在ですが、あとの3名は、プロではありますがタンゴ以外のジャンル
から集まったタンゴ界で無名の演奏家ばかりだからです。コンサートをするのにも
「アストロリコ」だけでは、あの黄金の左腕を持つ門奈さんの演奏が聴けるって、
わかりにくく、「門奈さんが出てるって知っていたら行ったのに・・・」みたいな感じで
集客に苦労するわけです。名前をグループ名につけてもらった方が、活動は
はるかに楽でした。


「僕がいなくなっても、アストロリコとして活動が続けられるようにしたいから。」
「若い人たちはゼロから活動を開始するのは、たいへんなこと。アストロリコ
で下地を作っておけば、いつ僕がいなくなっても続けられる。」

門奈さんは自分の名前をグループ名につけなかったのは、自分のためではなく、
タンゴの次世代継承のためという頑固なくらいのポリシーによるものでした。
2000年にその時はやってきました。
門奈さんが心筋梗塞で倒れ、奇跡的に回復したものの夏から年末までの舞台は
ドクターストップがかかりました。12月までに決まっていた本番を門奈さん無しで
できるのか、、、(当時はバンドネオンの若手が門奈さんの代役を完全にこなせる
までには育っていなかった時期)

ルシア&アルバロやロベルト デ ロサーノなど、アストロリコのソリスト達も
加わり、徹夜のミーティングが行われ、出した結論。
すぐにでもアルゼンチンからバンドネオン奏者の代役を立てて、門奈さんが復帰
するその日が来たら、何事もなかったかのように活動が再開できる状態にして
おくこと。門奈さんが自分の名前を出さずに頑張ってきたことを無駄にしては
ならない、この思いがみんなの頑張りとなりました。
代役の来日が間に合わなかった数回の舞台にご迷惑をかけましたが、その他、
年末までの数ヶ月間、予定されていた公演とそれ以上の公演を無事にこなし、
翌年の1月から見事に復帰、今日まで来ました。

リーダー門奈さん無しでこなした舞台の中には、トルコでの国際タンゴフェスティバル
及び、アルゼンチン・ロサリオで開催の第5回タンゴ世界サミットの招聘出演も
ありました。この二つはさすがに辞退の意思表示をしたのですが、先方から懇願され
欠場できず、門奈さんの代役のアレハンドロ・サラテさんが死にものぐるいの日々を
過ごしてくれました。
*余談ですが・・アルゼンチンの世界サミットでは、サミット主催側から
「門奈さんのオメナーヘ(メモリアル)にするから、アストロリコ不在では
サミットにならない!」
とまで言われました。門奈さん、まだ生きているのにメモリアルって!!
て思いましたが、オメナーヘという表現は日本的なメモリアル(追悼的な感じ)
とは違って、その人に捧げる、という感じのようです。(冷や汗をかきました)



話は長くなりましたが、そんなこんなの名前の由来です。
最近、タンゴ界で若い人たちの間で、個人の名前をつけないグループ名が多く見受け
らるようになりました。理由は、アストロリコとは違うと思いますけど(だって、リーダーも
若いんですから・・・あ、門奈さん、ごめんなさい)、みんなそれぞれに、タンゴに寄せる
思いが伝わってくる命名ですよね。
アストロリコの「タンゴ草の根運動」も、門奈さんの思惑通りになってきているようです。
と、私がやっと気が付くと、すでに門奈さんは、次の構想を持っておられるようです。
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タンゴルネッサンスはプグリエーセから

2000年の4月に発行されたアストロリコの友の会「ルナ ジェナ」の会報、巻頭言です。
メディアルナ タンゴルネサンス 切り抜き

門奈さんは、
「まずは、タンゴ演奏家を増やすことがタンゴを次世代へ継承するのに必要不可欠なこと」
として、アストロリコを1991年に結成しました。演奏家を増やして、演奏会の機会を増やさなければ聴く機会は増えない、つまり、タンゴの存在さえ知って貰えないからです。そこで、演奏家を増やすには、まずは、楽器をプロレベルで演奏している人にタンゴを演奏してみたいと思って貰うことが必要。そのためには、古典タンゴよりもまずはピアソラのタンゴの方が違和感なく受け入れられ、きっとこの音楽を演奏してみたいと思うに違いないという気持ちから、その頃は一般的にはほとんど知られていなかったピアソラの音楽を生まれたてのアストロリコでたくさん演奏しました。そして、マイクをつかわない生の楽器の音を伝えることにも努力したわけです。アストロリコといえば、ピアソラというイメージが今でも強くあるらしいのですが、それは、そういったことからでしょう。ピアソラ没後一周忌には、当時は10年早いと言われたクラシックの室内オーケストラとの共演でピアソラのメモリアルコンサートもしました。
その5年後、ピアソラブームが到来するわけです。その頃、門奈さんは、散々演奏してきたピアソラをアストロリコでは少なくしていきました。そして、オルケスタ・ティピカの編成で演奏ができるまでに楽団が大きくなったこともあり、タンゴファン以外の音楽ファンもピアソラブームの影響でタンゴを知って貰った今は、いよいよ、タンゴルネッサンス!それはプグリエーセである、としたわけです。
アストロリコではオルケスタ アストロリコとして1995年あたりから、ピアソラと平行してプグリエーセ楽団やそのエッセンスを持ったコロールタンゴのレパートリーを取り上げ始めていました。ピアソラの音楽を知って、タンゴを気に入った音楽ファンへ次ぎに提供すべきタンゴは大編成で力強いプグリエーセ楽団の音楽だ!と。
門奈さんの言っていることが次々に現実化していきます。2000年に入ってしばらくすると、アルゼンチンの若手ミュージシャン達からいくつものプグリエーセ楽団を意識して模範とした演奏楽団が産声を上げ始めました。今では、日本の若手タンゴ演奏家もオルケスタ編成を作るようになり、ピアソラ以外のタンゴもたくさん取り上げるまでになってきています。

タンゴルネサンスの舞台裏:
アストロリコデビュー当時は、全体の5%くらいの割合でピアソラを演奏しても、タンゴファンのお客様からはプログラムにピアソラの曲が多すぎる!っとお叱りを受けたりしたこともありました。それでも、徐々に増やしていって、やっとピアソラブームが到来した、と思ったら、次ぎはまた、一般の音楽ファンには知られていないプグリエーセ楽団のスタイル。本当に、苦労の「タンゴ開拓団」です。が、ピアソラに共感されたお客様には、プグリエーセ楽団のスタイルはすぐに共感してもらえて、苦労の甲斐があったというものです。
ピアソラと平行して、デビューのときから演奏していたスタイルでロビーラ・アレンジの「エル・チョクロ」などがあります。これは、演奏し終わっても「エル・チョクロ」のリクエストが来るほど、斬新なアレンジで「エル・チョクロ」だと気がついてもらえなかったりもしました。
そういえば、私自身、タンゴを本気で演奏するきっかけとなったのは、門奈さんから聴かせてもらったピアソラの音楽と「コロールタンゴ」が演奏する「センチメント・ガウチョ」でした。

ジェット旅客機もハイブリッドに…

★★★アストロリコ結成前の楽団から、活動をご一緒させてもらっていて、つくづく門奈さんの考えること、何気なくポロリと言うことが、次々にその通りになっていくのを実感。そこで、鋭い感性を持つ「人間プロ」の門奈予言語録をここで紹介するものです。
名付けて、プロの(「黄金の左手」と称されるバンドネオン奏者)による「プロメテ」。★★★
*平凡な小ネタから、驚きの大ネタまで。ネタの大小の判断は、個人差があります。

まずは、手始めに・・・
門奈:ジェット旅客機も、早くハイブリッド機にしなくては!

その翌日、新聞に「ハイブリッドのロケット開発中」の記事が…!
近い将来「ハイブリッドのジェット旅客機も夢ではない!」という思いでした。