TANGO 2007 RHAPSODY in AUTUMN
彼らとのステージは、4回目。思い起こせば、4年前の初顔合わせはどうなるかと、少々不安なところもあった。なんせ、アストロリコとは通常、どう考えても一緒にステージをするジャンルのユニットではないから。
しかも、わっか〜〜いビジュアル系男性ばっかり7名



いざ、やってみると彼らのがんばりもあって、不思議な化学反応を起こして、無事に終了!
ところが、今回、4回目、4年目、となるステージをやってみて、振り返ると、あの頃はお互いにまだ若かった、青かった・・・
念をおして、もう一度いうが、お互いに

ステージトークでも言ったが、本当にDDの男性としての成長ぶりに感動した!すっかり、中身の濃い魅力を放つ大人の男性に・・・良く、サナギから蝶になるっていうけど、これは女性に例えられるだけではないのだなぁってつくづく思った。彼らは、大人の男性としての魅力に輝いていたと思う。だから、タンゴに対して、化学反応の必要もなくなってきた感じ。
今回のステージでは、オープニングで私が人生の中で一番目立つような場所に立ってしまい、少々気恥ずかしさもあったけど、ここで怯んではかえってステージを台無しにしてしまうので、開き直り、居直り!?
演出家のお言葉によると妖精をイメージだそうだが、私が客観的に自分の姿を想像したら、どうも妖怪の方が近い?
黄金の雨がキラキラふる中を暗闇からそっとバイオリン・ソロをスタート。うまく行けば、こんな気持ちいい場面はないけど、責任重大!
なんとか、千秋楽まで大きな事故なく終えてホッと一息ってところで〜〜す。
千秋楽の最後の最後で、リーダーの東山君が一人で挨拶に出て、誰もいなくなったステージ奥中央に向かって、深々と額ずくようにステージ全体に最高の敬意を表したときは、舞台袖でその様子を見ながら感動、そして、一緒にステージに敬意を表した。演出ではなく、彼が自発的に、そしてごく自然にした行為。何と立派な若者だろう。
彼はすでにステージにはいなくなったアストロリコに対して気持ちを込めて感謝した、とあとで言っていたけど、一つのステージを作り上げるまでには、たくさんの人の手がかかっている。そんなバックステージの労力をしっかりわかっている彼らはこれかも、きっと素敵なショーを続けることだろうし、成長し続けると確信した一場面だった。
そして、お別れする時には、再会を願いながら、DDのメンバーが一列になってアストロリコに最敬礼してくれた。
気持ち良いステージ、心地良い疲れで京都に・・・
ステージ上でのトークは、ちゃっかり私をあてにしていた彼らだけど、まあ、そこもご愛敬ということで今回は許しちゃおう!
アストロリコ・レディース「タンゴ・アルコイリス」デビュー戦
旧日本銀行の建物ですごく雰囲気が良い、重要文化財でもある会場は響きが良くて、生音だと大きな音の楽器とのバランスに少し苦労しますがとても良い会場で演奏できてラッキー!
楽器の編成というよりも、要するにアストロリコの女性メンバーだけでタンゴをやってみよう!という試み。幸い、リーダーの門奈さんのお弟子さんの中から、女性バンドネオン奏者がまだまだ経験不足ではありますが、私たちに参加できるようになったので、タンゴならではの顔ぶれが揃って万々歳!
お客様もたくさんご来場くださいました。
ありがとうございましたm(_ _)m
初陣を終えて、いろいろと反省点もあり、これから改善・改良していかないといけないところもいっぱい発見しましたが、女性だけのタンゴも何とかうまく発展させたいなぁって思います。タンゴというとマッチョな男性のイメージが強くて、実際、演奏家は男性ばかりの方が格好いいって私自身も思うタイプ。それなのに、女性だけでもやってみようって思うところが厚かましいお話

内容的に男性に負けないマッチョなステージを目指してがんばろう!っと。
デビュー戦ということで、普段、アストロリコでお目にかかるお客様が他府県からも応援にかけつけてくださって本当に有り難いことでした。
慰霊祭の心
私は、以前からこの日は仕事の都合で行けないことは、関西戦友会の会長N氏にお伝えしていたとはいえ、後日、N氏から届いたご報告に何故か、涙が止まらなかった。
N氏は、淡々としておられるが、その胸の奥にある傷は深く永遠に癒えないことを今更ながらに感じた。これは、先日、津村別院のコンサートに広島から来てくださった重巡洋艦「鈴谷の会」の会長K氏(90歳)からも感じた。今年は幸いにも都合がつき、秋分の日に開催された呉海軍墓地での合同慰霊祭には出席できた。2000人の参加だったそうだ。
歩兵230聯隊の慰霊祭も、呉の海軍墓地と同じように式次第がちゃんと作られて、宮司による祝詞奉上、祭文奉上、軍歌斉唱など、正式に粛々と慰霊祭は執り行われた。N氏からの報告に
「宮司 1名、戦友 1名、参列者3名」
とあった。戦友とはN氏自身のことで、参列者とは足が不自由になったN氏のために護国神社まで同行したN氏のご長男夫妻とN氏のお孫さんのこと。写真も同封されていた。私が「感謝」と記して届けた京都の和菓子も並べて奉納してくださっていた。
たった一人の慰霊祭。
「亡き人を弔う」というこは、どういことか、改めて教えられた。
心にグサっと突き刺さるっていうけど、こういう感じなんだ。
私や私の家族が行っていたなら、「遺族 1家族」と書き加えられたというものだ。仕方なかったとはいえ、悔やまれた。
N氏は、95歳。どうか、来年もお達者でこの日を迎えてほしい。10月に「鈴谷」の命日が終わり、今日、歩兵230聯隊の大叔父がガダルカナルで戦死した日を前に改めて、今ご存命の戦友のみなさんのご健勝を願う気持ちでいっぱいだ。
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