第40回呉海軍墓地合同追悼式~遺族謝辞全文

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第40回呉海軍墓地合同追悼式
遺族代表謝辞は、今年も我が重巡洋艦「鈴谷の会」から!
昨年は、第三世代の私めが恐れ多いことにこの大役を拝命して、私の立場からの
思いの丈を表現させていただきましたが、今年は、鈴谷が沈没した時の軍医長の
ご子息。息子さんの言葉はやはり胸にググっとくるものがあります。
私は、IgA腎症の治療中のため無念の欠席でしたが、当日は遠くから気持ちだけ
参加しておりました。追悼式の模様など一年の様子を冊子にして送っていただき
その内容に感涙しました。
少しでもたくさんの方に知っていただきたいと思い、ご本人様と主催の海軍墓地
顕彰保存会(呉海軍墓地)のご了解を得て、ご紹介させていただきます。



遺族代表謝辞

第40回呉海軍墓地合同追悼式 平成22年9月23日

巡洋艦鈴谷 軍医長 小切間 一武  次男 小切間 克彦

あの終戦から65年の星霜が流れ去りましたが、本日ここに、第40回呉海軍墓地合同追悼式を厳かに執り行って頂きまして、お世話頂きました皆様方ならびに、お忙しい中、各方面からご参列頂きました方々に心から御礼申し上げます。
 また、日頃からこの墓地の維持管理にご尽力頂いている多くの方々に心より感謝申し上げます。
 私事に亘り恐縮ですが、今も水深一万mを超えるフィリピン海溝に多くの戦友と共に眠る父について、少し触れさせて頂きたいと思います。父は、昭和12年に海軍軍医官に任官致しましたが、その年の7月には日支事変が勃発し、翌13年には揚子江遡行作戦に参加しております。その後も最前線を歩み、太平洋戦争が始まって間もない昭和17年2月には、落下傘部隊であります横須賀第3特別陸戦隊の軍医長として、チモール島クーパン攻略戦にも参加しました。私が生まれた昭和19年2月には、巡洋艦「鈴谷」の軍医長として南方洋上に在りましたが、その年の6月のマリアナ沖海戦で傷ついた艦隊は日本に一時帰投し、鈴谷も6月25日に母港であるここ呉に帰港しました。
 父からの連絡を受け、母が5ヵ月の私を背負い、祖母が2歳の兄の手を引いて東京から駆けつけました。上陸して間もなく空襲があり、早々に艦に戻って行ってしまったと、母は問わず語りに話してくれたことがありましたが、別れ際に父は、「俺の乗っているのは大きな艦なので、滅多なことでは沈まんし、万一沈むならそれは日本が負ける時だ。ただ、沈むことがあれば、負傷者を救助してから最後に艦を離れるので、帰れないものと覚悟してくれ。」と言い残して艦に戻って行ったそうです。
 それから4カ月後の10月25日、レイテ島の攻防を巡り日米の主力艦隊は比島沖の太平洋上で死闘を繰り広げておりましたが、その戦闘で「鈴谷」は大破し、総員退去が命ぜられました。激しい海戦の最中、沈みゆく混乱した艦の中で、自分の思いをどれ程完遂できたかは知る由もありませんが、父が再び祖国の土を踏むことはありませんでした。
 本日ご出席されている「鈴谷の会」の会長木舩一二三さんは93歳になられますが、九死に一生を得て生還された方です。木舩さんは機関室にいらして、魚雷誘爆の際に顔面に負傷されましたが、何とか上甲板までたどり着かれました。その時、艦は既に右舷に傾き沈没しつつあったものの、5番砲塔左舷側で軍医長に治療を受けたそうでで、ご自分が軍医長に治療を受けた最後の者、と言って頂いております。また、軍医長は「若い下士官・兵から先に治療せよ」と号令を掛けていたとも伺いました。
 終戦後、NHKのラジオ番組に、戦災で離散した人や戦地からの帰還者が肉親などを捜す「訪ね人の時間」というのがありました。祖母は毎日欠かさずその番組にじっと耳を傾けながら、未だ幼い私に「お前のお父さんは泳ぎが達者だったし、フィリピンには島がたくさんあると聞くので、きっと何処かの島に泳ぎ着いていて何時か帰ってくるのではないか」との繰り言を言うのを、昨日のことのように覚えております。その祖母も既に二十数年前に亡くなり、また、今年は母が他界しましたが、母が亡くなったのは、奇しくも、66年前に父を乗せた鈴谷が最後に呉に戻って来た6月25日でありました。
 戦後、価値観が大きく変貌してしまった日本では、自国の歴史を貶め、戦死者を冒涜するような風潮があったことも事実であり、遺族の一人として誠に残念、かつ遣る瀬無い気持ちにさせられたものでした。また、わが国は経済大国にはなったものの、多くの大切なものを置き忘れ、国家の尊厳や品格の面では、世界の中で敬意をもって眺められる国であるとは言い難いと思います。
 ここ呉海軍墓地に眠られる13万余柱をはじめ、祖国の安寧と発展を願って戦場に散った多くの方々が、「命を賭して戦ったことは決して無駄ではなかった」と思って頂けるような国に近付けて行くことが、私ども一人ひとりの務めであり、英霊をお慰めする道であると思っております。
 終わりになりましたが、この墓地をお世話頂いている呉海軍墓地顕彰保存会はじめ、海上自衛隊、地元諸団体、戦友会などの皆様には、遺族を代表致しまして厚く御礼を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。

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