ひろすけ童話集

最近、特に強く感じます。
物心つく頃に、「ひろすけ童話集」を読むべき。
いや、子供のそばにいる大人が「ひろすけ」に触れる機会を与えるべきだと。

私が子供の頃は全集で出ていて、姉のおさがりで読書嫌いの私ですら
ひらがなが読めるようになった頃、読んだ。子供なりの感性で感じた。
大人になって、振り返ると更に深い意味が込められていたことに気づく。

例えば「泣いた赤おに」
最後に、なぜ赤鬼が泣いたのか。ただ、お友達の青鬼さんが自分から
離れていって寂しいから・・・くらいしかわからなかった。
でも、大人になって、赤鬼の涙が、どんなに深い意味を持つのか。
赤鬼の胸がどんなにえぐられるように傷んで泣いたのか。
青鬼の心中はいかに。。。
とても深い意味が込められている。
大人になって社会に出たら、自分が赤鬼になる場合もあるだろう、また
青鬼になる場合もあるだろう、また、そういう関係を側で目撃し関わる
こともあるだそう。そうした時に、人の心がわかる人間になっている
ことが大事なこと。それは、子供の頃に「ひろすけ」などで触れて
すでに疑似体験している者の方が、より深く人の痛みをわかる人間に
成長しているだろうこと。

なのに、今、書店にいって子供書籍のコーナーを探しても、「ひろすけ」
の一部分しか出ていない。
「龍の目の涙」「泣いた赤おに」「むく鳥の夢」・・・
そういう私だって、子供の頃に読んだっきりの全集すべてを覚えている
わけではないけど。でも、そこを通過したかしないかは、思春期を迎えて
多感になり傷つきやすい年齢なったとき、そこを乗り越える力がついて
いるかどうかに大きく作用すると感じる今日このごろ。

ひろすけ童話には、日本人として、人として大事な心が入っていると思う。
http://www.takahata.or.jp/user/hirosuke/
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コメントを頂戴しました

非公開なのですが、内容がかなり奥深いことでした。
でも、私がちゃんと言葉にできない気分を具体的に
言葉にしてくださっていた気がします。
「ひろすけ」をはじめ、良い童話を寝物語で子供に読んできかせること。
これは、とても大事なことですよね。
リメイクして、公開意見で書き込んでいただきたいくらいです。
ひろすけ童話の中の「しろいきこり、くろいきこり」(こんなタイトルだったと思う)。
これは、畏敬の念というものを持ち合わせない「くろいきこり」が、
雪深い山の冬を越せずに凍死する結末を迎えます。
童話ですから雪女にやられてしまうのですが。
子供心に、かなりの迫力で怖かったです。
ホラーとか、オカルトではなく、目に見えない畏敬の念、
というもの大事さ、それを欠いたときの結末に対して。

高畠は、犬の宮、猫の宮。

非公開のコメントの主、「三毛猫」さんからご連絡を
いただき、公開作業をこちらですることになりました。
私も技術がないため、そのままコピーして貼り付ける
原始的方法ですが(^^ゞ



青鬼の行動に感化されたことを思い出しました。
行動の裏の裏は表。
それから、の青鬼はどう生きたのか?
たぶん青鬼は強い、精神的に。
だから新天地でまたコミュニティを築けたんじゃないかな。
社会的な駆け引きのノウハウも持っているっぽい。
現に赤鬼との間で狂言事件を演出している。
でも赤鬼との思い出は二度と帰ってこなかったはず。青鬼それでいいのか?

赤鬼は多分周囲との融和がはかれて満たされてはいるものの、事件を通して遠く去ってしまった青鬼を時折思い出し、かの方つつがなしやと思いやる事でしょう。赤鬼、適当な時期がきたら、本当の話を村人にしたほうがよくないのか?お前の涙の意味はそういう事なんだろう?

ここでの悪人は一応登場しない訳ですが、村人たちの猜疑の目と言うのは現実社会ではいろいろな個人の信条や生活環境などの背景で形成されやすい。
いかに本心、事実を知らずして事物を判断することの多い事か!
わかってても流される迎合、雷同もその中にはあったと思います。
真実を見極める事は難しい、正しい事を言い続けるのも大変だったり、自己の人間関係を守ることが生活の安定であったり。
村人にはよくよく赤鬼青鬼の事件の真相を知ってもらい、自分たちこそ加害者であった事に気づいていただきたい。
「コミニュティに入る為に君は友人と別れる事を選べるか?」
(青鬼の演出でそれしか選択肢がなかったのか?)
コミニュティにさっさと見切りを付けて二人で出て行くという方法も平成の現在では考えられるシナリオですが、青鬼は赤鬼の気持ちを察し事件を演出し、赤鬼は青鬼の気持ちを察し演出を受け入れコミニュティに残る。
昭和の村ベース社会が、平成のアジア移民+都市化社会にとって代わり、村コミニュティの意味も稀薄になりがちですが、帰属する社会集団からの遊離または融和は時が変わっても永遠のテーマだと思います。
いや、今だからこそアジア系移民のみなさんと生粋日本人の間に、平成版リアル泣いた赤鬼が起らない事を願いつつ。

ひろすけさんはこちら山形高畠の方だったんですね、高畠という地名は以前から行きたい所、犬の宮、猫の宮のある土地ということで覚えていました。
ひろすけ童話の原点は案外この犬の宮、猫の宮伝説のような民話にその心情的ルーツを見る事ができるかもしれませんね。

大人になった今だから・・・

子供の頃は、ただただ、何ともいいようのない胸をえぐられるような
そんな気持ちがずっしりと残った物語でした。
そして、社会に出て、人といろいろな関わりをしてきて、経験を積んだ今は、
赤鬼さんは、「こうあるべきではないか」という考えが自分なりに
もてるようになったわけですが、その自分なりの考えが
人それぞれなんですよね。自分はどういう人でありたいか、っていう
そこのところに辿り着いてしまいます。
青鬼さんのしてくれた行為(厚意)にどう報いていけばよいか、
子供のころにこの物語を読んで、人の気持ちを思いやる心を
養えることができれば、成人になって類似した場面に遭遇したとき
その人の行動は温かみあるものとなるでしょう。

例えはこの物語に準じますが、赤鬼の立場にたった人が最近こんな
発言をし、それを目の当たりにした私は愕然としました。

「青鬼という存在がなかったら、なかったで、赤鬼はそれなりに
なんなりと適当に村人と仲良くする方法を自分でやっていただろう
から、赤鬼は青鬼のことを気にしなくて良い」

こんな発言を恥ずかしげもなく、悪びれた様子もなく普通に言える、、、
ひろすけさんが童話を書いた時代では考えられなかった一言でしょう。

「ひろすけ童話」を大人はもう一度、読みましょう。
「ひろすけ童話」を読んでいない大人は、読んでみましょう。
「ひろすけ童話」を子供達に読んで聞かせましょう。

*優れた童話全体について「ひろすけ童話」を代名詞として使いました。

高畠は犬の宮、猫の宮なのです。

三毛犬と四毛犬、そして猫の登場です。

http://www41.tok2.com/home/kanihei5/inunomiyanekonomiya.html

http://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020020/mm_bk_data/s/img_mm_series_manpo/vol_127/inu-neko.html

http://yamagata6.blog118.fc2.com/blog-entry-18.html

民話と言うのはその地方の人たちの文化を反映している。こんな土地柄だからこそやさしい童話が生まれたんじゃないかなと思ってます。

素敵な民話ですね

なかなか、ぐっとくるお話でした。
四毛犬、なんて言葉は初めてです。
三毛があれば、四毛、二毛、あり得ますよね。
山形方面、行ってみたくなりました。
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