★祭神之記★

昨日、帰宅すると靖国神社から「祭神之記」が二人分届いていた。遺族で希望者には、「祭神之記」を作ってくれると聞いて、パスポートくらいの大きさだろうと勝手に思い、気軽に申し込んだ。数が多いのでずいぶんお待たせするだろう、と事前に聞いていたので、首を長くする思いもなく、半ば忘れていたくらいだった。
実際の「祭神之記」を見て、びっくり。とても立派な仕様で、閉じた状態でA4サイズくらいは充分にある大きさ。そして、丁寧な仕上がり。
そして、陸軍「麻場雅佳」海軍「介中俊輔」、それぞれの詳細が記載されてあった。私は実際に会ったこともない大叔父なのに、まるで遺骨が帰ってきたかのように、その「祭神之記」が愛おしく思ったのと同時に涙がこみ上げてきた。(日頃は、忘れていたくせに!)
3月中旬に「にっぽん丸クルーズ」に仕事で参加する。今回のコースは豊後水道を通るらしい。海軍の大叔父は、呉の軍港を出て、この豊後水道を通る度に「これが最後、見納めの日本の陸」と思ったことだろう。永井先生の本にも豊後水道を通ったとき、陸が見えなくなるまで眺めていた、というような記述があった。
ぜひ、南溟に向かって大叔父達にご挨拶をしようと思う。
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コメント

祭神之記

こんばんは
himenoさんからのお知らせで以前から拝見しておりました。利華さんの気持ちが手に取るように伝わってきて涙しておりました。

「祭神之記」は、私も調査を始めるにあたり、一番初めにお願いしたことでした。
当時はA4用紙1枚でしたが、今は立派な台紙がついていません?
にっぽん丸は、これもhimenoさん繋がりで不思議なんですが、八女市の渡辺さんと言う方が、にっぽん丸をチャーターして、何度も何度も慰霊の旅を挙行された船です。
私はとうとう参加できませんでしたが、何度も晴海ふ頭までお迎えに行きました。
父と同じ船で戦死された方の奥様が、にっぽん丸でのその慰霊の旅に参加されていたからです。
各戦場を巡り、船上から花束やお酒を奉投し、みなで「ふるさと」を歌い、慰霊をされたと言う忘れられない船です。
そのにっぽん丸に利華さんが乗られるとは、これも何かのお導きでしょう。
どうぞ、精一杯大叔父様たちを偲んできてください。

さくら 様 へ

ようこそ、拙ブログをおいでくださり、ありがとうございます。

さくらさんの優しいコメントにまた、グッときてしまいました。祭神之記って、以前は紙だけだったんですかぁ。先日、届いた物は立派な台紙に表装も立派でした。見開いた左側に台紙に入った詳細記述があり、右側は何もないので、ここに英霊の写真を貼る人は多いだろうなって思います。父に電話で報告したら案の定「写真は入っていたか?」って厚かましいことを言ってました。たぶん父に見せたら、ぜったい写真を貼るだろうなって思います。貼るのであれば、ちゃんと大きさを合わせてきれいに貼りたいです。

さくらさん、今更ながらすみません。念のため、確認したいのですが、私が思っているさくらさんは
http://www.geocities.jp/masa030308jp/
のさくらさんですよね。
その中に八女市の渡辺氏のお話、ありましたね。
あれは、「にっぽん丸」だったんですかぁ。
商船三井のふじ丸に乗船した慰霊団のお話も出ていましたよね。船体まで同一のものなのでしょうか。それだと一層うれしいです。あの海域に慰霊に行った船で、ゆかりの豊後水道も行けるなんて。
実は、クルーズのお仕事はこれが初めてではなく、過去に「ふじ丸」「にっぽん丸」両方、何度か乗船しているのに、このことを知らなかったなぁ~~。
ミクシィの私の日記のところにも書きましたが、以前、どちらかの船で大阪から清水港へ行ったとき、ひどい嵐にあい、一晩中5mの落差で船がたたきつけられた経験があります。あの時のディナーショーでは、バイオリンの弓を動かす手が揺れのため、どこかへ突然自分の意志にない方向へさらわれたり、ダンスカップルなんかジャンプして着地地点が1m近くもずれていたりと大変な本番でした。そして、本番後はやっとの思いで自室に戻ったものの、衣装を脱ぐこともできず、一晩中、船酔いのためベッドにへばりつき、ゴミ箱は揺れで部屋の中を自由自在に走り回り・・・船乗りさんは慣れてしまうのでしょうけれど、漁師さんも海軍さんもこんな中で仕事するのだから凄い!と思ってしまいました。

渡辺氏の慰霊の旅のお話、泣きながら拝読しました。同行できなかったご遺族のために、その場所の海水や土を持ってかえってあげられたことなど。ご遺族の方々は、そのお水や土が愛おしかったことでしょうね。

では、にっぽん丸のクルーズは、心を込めて私の本来のお仕事をし、心を込めて大叔父達はじめ沢山の英霊に敬意を表してきます。

にっぽん丸のこと

こんばんは
説明不足の点ありました。
「ふじ丸」の渡辺さんの記事は、私が書いたものです。
あの慰霊団は、過去、2、3年に一回、計10回ぐらい行われていて、時期によって「ふじ丸」だったり「にっぽん丸」だったりしたわけで、あの記事の時は、たまたま「ふじ丸」だったんです。

洋上慰霊の旅の時も、大嵐に会って相当ゆれた事もあったそうですが、ちょうど戦死者がたくさん眠っている海域で大嵐になった事もあるそうです。
戦死者が怒っているのか、喜んでいるのかだろうと言いながら慰霊祭をされたそうです。
なぜ500名もの人たちが、10回も洋上慰霊祭に参加されたのか、それは、戦死者の遺族と言う結束で、大きな家族のような関係が出来ていました。
1度参加して、次の回に行かなかったら、戦死者が「うちの家族はどうして来てないんだろ?」と寂しがるから
だとおっしゃっていました。
だからメンバーはいつも同じでした。
私は毎回、晴海ふ頭に迎えに行き、解散は靖国神社だったので、一緒にお参りして、全国に帰って行かれるのを、お見送りしてました。

そういえば、まだ私は、まだちゃんと自己紹介してなかったですよね。
私が「父への手紙」の管理人です。

himenoさんから奇遇なご縁があるけど、教えない
と言われて、多分ミッドウエー海戦記事から想像して、既に私のHPを読んで下さってる方かな?と想像してました。
himenoさんそうなんでしょ?
あれを書いてから様々な出会いがあり、利華さんのようなお気持ちで御祖父さんのことをたずねてくる30代の方もたくさんありました。

利華さんの記事で、この部分を引き継ぎたいのだと書いてあった事に非常に共感しました。
私も一生懸命探したのは、「自分が死んで行った場所を誰も探してくれない事」の悲しさ、この1点なんです。

「自分はこう戦って死んでいったのだ…略…この情景を家族たちに見てもらいたい」
「自分は立派に死んでいくが、この情景をなんとか父母や弟に見せたい」

長くなりました。

旅のご無事とご成功をお祈りしております。

さくらさん、そうです。

こんばんは。
さくらさん、利華さんときちんと出会えてよかったですね。そういう運命だったのでしょう。
利華さん、にっぽん丸クルーズ、もどられたら詳しくご報告をおねがいいたしますね。

さくら 様 & Lady Himeno 様 へ

素敵なご婦人お二人にご懇意にしていただき、光栄です。私たちの出会いの経緯は、お察しの通りと思います。
そもそも、私の父(元予科練)が兄弟のようにして育った叔父(介中俊輔:海軍重巡「鈴谷」)の最期の様子を知りたい、と昨年の今頃言ったことが始まりです。そこで、海軍関係のHPをネットで検索して、通称「すま長官」が管理するページで尋ねたところ、呉在住の「まの字」(既にこのブログに一筆登場)さんが探してくれてLady Himenoのブログを紹介してくださり今に至っています。さくらさんのHPは、検索して自力でたどり着き既に涙しながら拝見していましたが、その方とこうやったご縁をいただくとは感激です。
呉在住の「まの字」さんこそ、まだ30代のお嬢さんなんです。しょっちゅう、海軍墓地の鈴谷はじめ縁のある艦にお花をあげてくださっています。昨年の秋、鈴谷の命日に呉に行ったとき、はじめてお会いしました。
洋上慰霊祭、まだ開催しているのでしょかねぇ。もっと早くに私自身が意識を持って動いていればよかった、と後悔しています。
ところで、ここで、重大発表!? というか、、、、
正直、年齢をわざわざ隠しているわけではありませんが、私は40代です(;^_^A アセアセ…

今日は、これから大阪でライブなので、この辺りで失礼します。m(_ _)m

すま長官

海軍関係のHPは、星の降る程たくさんありますが、その中から「すま長官」のページで尋ねられたというのも私には驚きです。
「すま長官」は良く知ってる方です。
あのHPに集まってくる人たちは、本当に海軍の事に詳しくて、紳士ばかり、中学生から戦争体験者の80代までの老若男女がオフ会と称して集まり、慰霊祭参加、忘年会、お花見、護衛艦の航海体験などしました。
すま長官は、岡山のIT関係の会社の社長さんで文才あり、著書もあります。

さくら 様 へ

そうなんですか。。。すま長官をよくご存知だとは、何だかすま長官がより近くなった感じで嬉しいです。
内容が内容だけに、この類の質問にまじめに返答してくださるページを選びました。中にはバーチャル・ゲーム感覚のページもあったり、紛らわしいものがあったりしますものね。
でもそんなに苦労せずに、すんなりたどり着けました。書き込みを見たら、私と同じように「おじいちゃんが・・・」とか「父が・・・」とかの質問に、本当に親切に自分のことのようにして心当たりや方法を返答されているので好感と信頼を持ちました。でも、鈴谷に関してはなかなか情報がなかったようで、あきらめかけていたところに「まの字」(すま長官のページでは「守山真理摸」さん)さんが、必死にネットで探してくれた結果を教えてくれました。
体験者の方々が高齢化するのは仕方ないことですが、次世代同士で次ぎの繋がりができているようですね。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
お彼岸の海軍墓地の慰霊祭に参加できるといいのですが、今のところ予定がたっていません。参加できたら、お会いできるかもしれませんね。

さくら 様へ追伸

ところで、デジカメの日記、拝見しましたが、かなりの腕前ですね。すご~~い!
あの鳥が飛び立った瞬間なんか、よく、あんなショットが撮れたものです。お花もとても綺麗で、癒されます。
また、拝見させていただきますね。

有難うございます。

写真見ていただいて有難うございます。
子供の頃から綺麗なものが好きだったので(嫌いな人はいないと思いますが)その世界がカメラで実現できるところが楽しいと思っています。

利華さんのヴァイオリンの音色をいつか聞かせていただきたいと思っています。

利華さんの年齢のこと、私から見れば30代も40代もかわりません。

さくら 様 へ

んまぁ、、30代・40代もかわらないなんて・・・
最近は、30代半以上の年齢は、人生の最終まで一纏めでよろしいことにしましょうよ。

そのうち、お目にかかりたいです。私のスケジュールは、このブログでも更新するようにしますね。今年は、年内に関東方面には、何度か行く予定です。詳細が出ましたら、アップしますので、ご都合にご無理がなければどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
また、個人的に靖国参りもしたいと思っています。ただ、こればかりは、不確定。呉も九段も京都からは、ちょっと遠い。
昨年末仕事で東京に行った時、早朝、お参りに行ってきました。本当は、前夜にショーがあって夜が遅く、辛かったのですが、早朝の神社の空気に清められ、しかも遊就館の展示の中に、ガダルカナルで亡くなった大叔父の歩兵230聯隊の動きを示したパネルまで見つけて、頑張って大叔父達に挨拶しに行ってよかったぁ、って思いました。
(いつも人が多くて近づけていない展示もあったし、見過ごしていたり・・・この日は、オープンと同時に一番乗りで入館したのでほとんど人がいなかった)

あ、また長くなってしまいました。今から、大浦みずきさんのディナーショー本番に行ってきま~~す。
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