「食」に対して、改めて考える

「昭和、あの日あの味」 月刊「望星」編集部編
新潮社版
新潮文庫

決して、グルメ本ではありません。
66人の方々の体験した「食」にまつわる手記です。
66人の中には、大浦みずきさんの手記もあります。
彼女は、「そば」が大好きだったのに、一時期、喉も通らないほど、食べることが
できないでおられたとか。それが、またおいしく食べられるようになった経緯を
書いておられます。
大浦さんとのご縁でこの本を知ったのですが、この本全体がとても興味深いものが
あります。
それぞれの文章に個性があり、それぞれの体験に自分を重ねる場面もあったり。
特に戦前・戦中の食の話は、戦後生まれ、戦後育ちに年代にとっては、実感が
出ないほど、信じられないくらいみんな空腹だったんだ、とその一端をのぞく
ことができます。
私は幸運なこと、縁故疎開した母から話を聞いたり、軍隊にいた父から当時の様子
を聞いたりしていましたが、他人の体験までは知りませんから、両親の話と重ねな
がら、今の自分の贅沢さを反省したり、、、

日本人の「食」を見直す機会、なんていうと大げさですが、少なくとも日々の
自分自身の「食」を改めてチェックする良い機会にはなるかもしれません。
また、いざという時の知恵にも・・・
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コメント

軍靴も図嚢も食べた兵隊さん

りかさん。
戦時中のひもじさの話、みずきさんも書かれていたのですか。お父上のお話?
私は幸いなことにというべきか不幸なことにというべきか、あんまり身近な人からは聞いたことがありません。
八女は田舎だし、農家でしたので、さほど飢えることはなかったようです。さつまいもとかぼちゃをたくさん食べさせられた話はききましたが。(親は昭和4年と5年生まれです)

兄弟の多かりし世のさつまいも  保坂加津雄

(りかさんのお父上は何年生まれですか。
よければ教えてください。)

私も戦時中の飢餓について書かれた本を一冊もっています。無名の方々の投稿集です。
その中から、一編、引用させてください。
いま、かささぎの旗では保健医療経営大学学長のお父上の戦記を引用中です。こないだまで香川宜子先生のザ・ヴァイオリンに絡めて、ユダヤ人捕虜の話とか、坂東捕虜収容所の話、あるいは久留米の捕虜収容所の話など出ておりましたが、これには日本人が外地で捕虜となっていたときの食についても書かれています。
(えっとこれは1990~91年の朝日新聞テーマ談話室への投稿集です。実名か筆名か知る由もありませんが、本にあるお名前で引用いたします。おそらく許してもらえましょう。)


復員船でかみしめる一粒一粒 
   宗像市 河野通弘(療養中・70歳)

 ビアク島は失陥、ニューギニアは連合軍に完全に分断され、軍の統帥は麻縄のごとく乱れた。第二軍はマノクワリを放棄し、無謀な撤退作戦に出た。わずかな携帯糧秣(りょうまつ)は瞬時に食いつぶされ、身に重い一切の所持品も捨てた。
 激流の大河を渡り、人跡未踏の大山脈を越え、ジャングルに入ると、二万数千人の将兵の大半は、マラリアやアメーバ赤痢や栄養失調となり、歩行も不可能だった。マラリアに狂う少年兵を巨木に縛りつけ、ジャングルに捨て去った。草も木もかじった。軍靴も図嚢(ずのう)も焼いて食べた。小便も飲んだ。
 折しも、私は特命を受け、参謀長と爆撃機でジャワ島に飛んだ。ジャワは天国だった。貨物廠(しょう)には食糧が山と積まれ、兵器廠、自動車廠には前線向けの軍需品が集積されていた。だが、一隻の輸送船舶もすでになく、物資の山は埠頭に雨ざらしになっていた。
 やがて敗戦を迎えた。インドネシアの青年たちは「ムルデカ(独立)」を叫び、独立軍を編成し、上陸して来る英・オランダ軍との交戦に日本軍の協力を求めた。だが、武器の譲渡を巡って紛糾が起こり、双方に多数の死傷者が出た。わが部隊も襲撃に遭い、交戦かと思われたが、親交のあった中隊長(元日本軍兵補)との話し合いが成立し、私の伝家の宝刀や相当量の武器・食糧を譲渡し、戦いは回避された。
 だが、身一つでスラバヤ収容所に収容され、独房に入った。食事は一日ニ食。囚人食より粗食で、汚れたアルミ皿に一盛の飯と、腐りかけた干し魚が一切れだった。インドネシアと英・オランダ軍との紛争が激化し、郊外の独獄に転じたが、スラバヤよりも劣悪な囚人食だった。本体との連絡もつかず、ふんどし姿ですき腹を抱え、栄養失調が続き、歩くこともできずにいた。
 昭和二十一年五月、英軍との交渉が成立し、シンガポール南東の離島に移送された。英軍の強制労働は酷だった。マラリアや栄養失調で死んだ戦友は数知れない。
 飢えた身に、復員船「朝風丸」で食べた米の一粒一粒に幾たびも泣いた。この滂沱たる涙は今も忘れない。平和の米だった。(1990・8・28)

地名を読んでもすぐにどこかはわかりません。
スラバヤというのは、よく見かけます。俳句にもあります。しかし、図嚢なる名詞ははじめてみました。
探したら東条英機の図嚢がありました。革製品のリュックか。・・いれものまで食べたんですね。http://ijan2.hp.infoseek.co.jp/rare18/toujouhideki-zunou.htm

お誕生日おめでとうございます。

Ricaさん、お誕生日おめでとうございます。
なつめさんのお誕生日でもある今日、
私は、ファンの方たちと、
思い出深いマキシム・ド・パリ東京で
ランチを食べながらお祝いをしてきました。

王子ホールのコンサートの折
Ricaさんのお歳を伺って
驚愕したあの日が、昨日のように思い出されますね。
あれから?年・・・お若いです!!

関東にいらっしゃるのを、首を長くしてお待ちしています。
益々のご活躍を!



ひめのさん、夢子さん、!!

長らく、PCの近づけていませんでした。
コメントをくださっているのに、放置状態で大変失礼しましたm(_ _)m
また、改めて、レスをさせていただきますが、今は
取り急ぎ、お詫びまで。。。。
実は・・・・
のカミングアウトは、また、ちゃんとアップいたしますね。

ほんとうに、m(_ _)mm(_ _)m
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