大日本帝国海軍 二等兵曹 介中俊輔(6/22追記更新)

久々の自由時間課題発表!
まずは、鈴谷に乗艦していた海軍の大叔父「介中俊輔」の写真が、長い間行方不明扱いでしたが、この度、突然、存在をアピールしてきて、俊輔の甥っ子にあたる私の親父(例の腕白&元予科練の親父)が発見!親父は、予科練に入る時、父親からこの写真を持たされたそうで、軍隊にいる間中、ずっと持っていたそうです。その現物と再会。しかし、この60年余りの間に、大きく縦皺が入り、そのシワは俊輔の顔の真ん中を通過していました。が、最近はすごいですね。昔の写真を蘇らせることができるんだぁ。ということで、この写真が修復後のもの。
呉の海兵団で新兵訓練後のスタジオ写真みたいです。

介中俊輔



おいちゃん、よかったね。きれいにしてもらって。。。。
どこにシワがあったのか、さっぱり、わかんなくなってる!

呉の友人が教えてくれた下記↓のページ。
これは、知る人ぞ知る、有名な方のお話。
ミッドウェーの時は鈴谷の艦長だったので、その時の鈴谷の動きの中においちゃんもいたんだぁって思うと、立派な艦長の下でお役目が果たせて私としても嬉しい一コマ。

http://navy75.web.infoseek.co.jp/kaisouroku/kaiso-28.html


その呉の友人が、陸軍の大叔父が所属した部隊の手がかり情報を提供してくれました。その発表会はまた後日。
陸軍の方は、ほぼ諦めかけていましたが、ちゃんと戦友会が慰霊の碑を作ってくれていました。さすが!っていうか、今まで遺族が無頓着でごめんなさい。
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コメント

わぁ~、出ましたね!(敬意を表して申し上げております!)
ほんと、きれいで立派な写真ですことv-364
少しずつ解明されていって、感動ですね。
どんどん大叔父さまが身近になってきてるでしょv-344
すごいですね~。
それと、お父さまは結構叔父さま似!?

v-308 v-496 v-308 v-307 v-308

きょう、新聞に載ってましたよ。
硫黄島を「いおうとう」と呼ぶように国土地理院が決めたそうですv-315
戦時中、米軍が「いおうじま」と呼んだのを、その後そのまま標準呼称としたらしく
1982年からは地図にも「いおうじま」と載っているらしいです。
旧島民の感情に配慮して変更を決めたらしいけど、そもそも
何故よそから来た
日本語を知らない人たちの言うことを「標準」としてしまったのか・・・e-262
ま、でも、この度、よくぞ戻してくださった!と日本人として感謝です。

Picarita さん へ

はい、こんなんが出ました!(あ、おいちゃん、これジョークですんで・・・勘弁)
俊輔大叔父の写真は、これ一枚だけ。でも、ちゃんとスタジオで撮影しているからしっかり撮れてますよね。
陸軍の雅佳大叔父は、数枚あるのだけれど、戦地から手紙と一緒に来た写真だったり、新聞記事だったりではっきり大きく顔がわかるのが、ないのです。足して二で割りたい二人。。。


親父も含めて、私に至るまで、俊輔大叔父系列の顔ですなぁ。。。DNAが。親父が言うには、俊輔大叔父は、基本的に無口でホワ~~っとした性格で目つきもホワ~っとしている人だったとか。なので、写真は新兵訓練でさすがに少しはキリっとしたみたいで、目つきが違うと言ってました。

「いおうとう」の読みには、私は小さい頃から「いおうとう」と聞きなじんでいたので、「硫黄島からの手紙」など色々と???と思っていましたが、外国の人にとっては「ふじやま」ですもんね、あの富士山も。
「旧島民の感情」の「島民」って日本列島民のことねi-236

おじ様のお写真

ご無沙汰しています。
利華さんがなさるべくしてなさったおじさんの消息調べのようなお写真ですね。
そっくりです。

私も父のこと調べていくうちに、全然範囲に考えていなかった父の弟(陸軍航空隊)の消息までわかり、有名な戦友会が存在して、おじを知ってるって言う人にまでお会いする事ができました。
知らなかったのは親族だけ、ほんとにそう思います。

最近息子が一緒に仕事をしている方が目の前で不慮の事故で亡くなられ、それから考え方が一変したと言います。
じゃ、目の前で昨日まで行動を共にしてた戦友が目の前でぱたぱた死んでいった光景を見て帰ってきた人達の心境は如何ばかりだったのだろうね・・・・と話しました。
その心が戦友会、慰霊祭を一生止められない理由だと思いました。

さくら 様 へ

ちょうど今、PCを触っていたところでした!
コメントをありがとうございます。
そして、お久しぶりです。姫野さんがちょうど、今頃上京されている頃では、、と存じます。お誘いをうけたのですが、仕事で関西を離れられませんでした。

さくらさんが歩まれた後を私も歩んでいる感じがします。「海軍の大叔父」繋がりでずいぶん交友関係に幅がでました。そして、今朝、陸軍の大叔父が所属していた部隊230聯隊の帰還者で、高齢になった戦友会が解散したあとも一人で「230聯隊の碑」で毎年慰霊祭を続けておられる95歳の方とお電話で直接お話をさせていただけるところまでは、こぎ着けました。

この分だと、まだまだ、大叔父探しは続くでしょうね。
さくらさんのHPで陸軍航空隊のそのお話を拝読しました。涙で読むのに苦労しました。
さくら先輩の存在に私はずいぶん勇気づけられております。今後とも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

さくら 様:追伸

まだまだ、PCに振り回されているます。書いたつもりが消えてしまっていました。

さくらさんのコメントの最後の3行、ぐっと胸の奥にくるものがありました。
実体験者が高齢で、そのほとんどが80歳代後半という現実をつきつけられた今、「もっと早くに気がつくべきだった」と焦る思いです。せめて、その方々がいつか天国の戦友と合流される時に「次の世代がちゃんとやってくれるているから、苦労は報われているよ」って報告してもらえるような活動をしたいと思います。
具体的にどんな活動、というわけではないですが、英霊に恥じない生き方をしたいです。

利華さん。私のとこに来てくれてありがとう。おじさまのりりしいお写真をみていると、くやしさのようなものが伝わってきます。なにかそんなかんじがします。
さくらさんとりかさんってふしぎです。
ぜんぜん関係ないはなしをしますが、きのう遅くに東京からもどり、ぼうっとしてると、息子がつけていたテレビから、最近買って毎日聞いてる竹内まりやの返信って歌が流れてきました。この歌を聞くと、なぜか涙がでます。なんでやろって思ってましたが、これ「出口のない海」の主題歌だったのですか。うわーっておもって。
 
 返信は「応」とあるのみ不如帰  恭子
 
連句会は「ほととぎす」が兼題でした。あれこれ作りましたが、これは句の内容と不如帰って漢字が合致してよくできたほうだとおもいます。そしたら、さばきの前田圭衛子先生が、この句をこう評して下さいました。
 ほととぎすは、古来この世とあの世とを行き来する鳥として扱われている。であれば、この返信はあの世からのそれであり、作者がなにかをあちらの世界へ問い掛けたら、いいよという返事をもらった、ということでしょう。  
と。やはり、前田先生はすばらしいなあと感じました。
上野の森にはカッコウはいても、ほととぎすはいるかどうかわからないそうです。上野文化会館って「楽屋口」ってところから応接室に入るのでしたよ。そこで連句会はありました。半日お茶飲んですわってた。笑
東京へここ十年、年に一度行ってるのですが、いつも夏です。そして日本青年館に泊まってる。あの下で学徒出陣式があったことを泊まるたびに思い出します。

竹内まりあ

こんばんは
私は週のうち半分は外で仕事、半分はずーっと自宅でラジオ聞きながら仕事してますが、先週一週間竹内まりあさんがゲスト出演でした。
彼女は話す声がものすごくきれいですね。
「出口のない海」来週テレビ放映があるのよね。
絶対忘れないで見る!テレビの前の紙を貼り付けておく。(見忘れ防止策)
回天の関係者にもたくさんお友達がいて、非常に劇的な
出会いもありました。

「出口のない海」の主題歌を竹内まりあさんが歌ってるとは知りませんでした。
himenoさん、この夏本が出版されると言いましたが、内容はその神宮の学徒出陣に関係ある事です。

駆け足 レス ですみません。

今日は、これから終日、公演せまるオルケスタ アストロリコのリハーサルがありまして・・・駆け足で乱暴なレスで失礼をお許し下さいm(_ _)m

Lady Himeno さん &さくら さん
ほととぎす の意味。深いし、何となく、魅せられるというか。教えていただき、ありがとうございます。そう考えてみると、掲示してくださった句には、具体的に表現できませんが、私が今やっていることを大叔父達が「いいよ」って言ってくれているみたいな気がしますが、またまた、例によって私の早とちり???
Lady Himeno、本を出版されるんですか??
すっご~~い。また、情報ください!

「出口のない海」はロードショーを見に行きました。
見た直後よりも、いろいろ耳年増になっている脳みそが映画を思い返す今の方が、胸につまされる私です。
「鈴谷の会」の会長さんと、鈴谷の命日で呉の海軍墓地で初めてご挨拶した日のこと。90歳になる会長さんは、1時間以上、立ったままで「鈴谷」にまつわる私の質問に答えてくださいました。腰掛けていただくように何度か勧めたのですが、気がつくと、お互いに立ち上がってしまっていて・・・そして、そろそろ時間がだから、、と次ぎの目的地、ここにも友人がたくさんいるから、と回天の慰霊へ山口県へと移動されました。
その時、駅まで私達の車でお送りします、と申し出ましたら、「ちゃんとタクシーを呼んであります。呉のタクシーさんのお仕事を減らすようなことはしませんよ」と辞退され、予想外に長話になり待っていたタクシーに乗り込まれました。

まとまりませんが、気のままのレスを書き逃げ御免m(_ _)m

こりゃこりゃ。利華たん、ちがうよ。御本を出されるのは、さくらさんです。笑
それにしても、一時間も質問攻めにしたのですね。あなたはなんてすごいんだ。

はあ、またやってしまいました(^_^;

ほんまに、乱暴なレス でございましたね。
この私めの読解力の無さ、とほほ・・・
さくらん、失礼をいたしました。そして、改めて、おめでとうございます!!! 情報をお待ちしております!

鈴谷の会長さんに一時間、質問攻めというか、何と申しましょうか。鈴谷の碑を囲んで、座談会みたいになりました。
会長さんも資料をたくさん抱えてきてくださっていました。乗艦していた戦死者名簿の中から該当を探したり、洋上慰霊に参加した時の写真も見せてくださったり。鈴谷が沈んだ地点まで行って、慰霊祭をしたときの写真も。
軍艦の中の様子、日常のことなど、艦が沈んだ後何時間も漂流したときの話し、戦死した部下の遺族のところに報告に行ったときの辛いお話、などなど。
永井先生の本と鈴谷のTシャツをプレゼントしました。鈴谷のTシャツを見た途端に、はっと目が輝き「存命の戦友の分があれば購入したい」とまで言ってくださり気に入っていただけたんだ、と嬉しかったです。余分に持っていたものをプレゼントしたのですが、この足で回天の慰霊に徳山へ行かれるというので「荷物が多くなり気の毒だから別送しましょう」と申し上げたのですが、そのままリュックに・・・
鈴谷のTシャツは、私が手作りデザインで原画を作ったので、恐る恐る提出しましたが、折り畳んであるシャツからチラリと艦影が見えただけで、さすが!鈴谷の艦影とわかられ、90歳というお歳を吹き飛ばすようなキラリとした目をされました。

知らない世代を集めて、講演会をしたいくらいでした。
日々心身を鍛える様子、そして戦時下の苦労と心の痛み。生の声を聞くことが必要だと。

この日は、私につきあってアストロリコの仲間も一緒に呉に行ってくれたんです。そして、一緒に碑を掃除してくれました。ありがたいし、頭が下がりました。


さくらさんはお父上の足跡を追っておられるうちに、思いもよらない広範囲の情報を得られた由、HPでも拝見して感動しました。私の大叔父達は、現在は少々難航しております。が、少しずつ、紐解けてきている感がありますので、諦めないでじっくりとやっていこうと思います。といっても実体験者はかなり高齢というか存命されている方が奇跡的なくらいになっているので、速やかに、、、頑張ってみます。

やれば出来ます。

そのとおりです。
思い続けているだけで、情報が集まってくる感じがしました。これが死者の伝えたい気持ちだった、ただ私の体を通して伝わってきただけという錯覚を起こしました。
今年の夏出る本は、父の事ではありませんが、「父への手紙」がきっかけです。
60年もたって死者の思いが世界中に伝えられるという奇跡のような現象に出会う事になりましたが、これはひとえに生きてる者たちの熱意の結集でもあります。
生きてるものが思わなければ何も起こりません。
その人が生きてた証というのはこういう事だと思いました。
鈴谷の会長さんのお話は光景が目に浮かぶようです。
私も同じような集まりにたくさん参加して感じていた事を利華さんは生き生きと情景を書いておられます。
がんばってくださいね。

さくら 様 へ

優しく、そして、心強い励ましをありがとうございます。さくらさんのご子息も、とてもお辛い経験をされたようですが、さくらさんのようなお母様を持っておられて本当によかったなぁって思います。
いつかお目にかかれますように・・・
今後とも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

献灯

利華さん、私の投稿のURLをクリックしてください。

2枚目です

やはりURLをクリックしてください。
境内中が光の海でしたが、利華さんのは、私が一番好きないい雰囲気の場所にありましたよ。

リンクの件

クリックして、英語のページが表示されたら、
4行目の、http://blogimg.go.・・・・・・のところをクリックして下さい。

文中にどうしてもリンクできませんでしたので、たびたびすみません。

感涙とともに感謝m(_ _)m

さくらさん!
私の分まで見てきてくださったんですね!
散々、「行けない」「行けない」ってぼやいていたから
ちゃんと写真に収めて来てくださり、なんとお礼を申し上げて良いやら・・・
温かく深いご厚情に心より感謝申し上げます。
両親にも見せます!
ページをクリックして画像が目に飛び込んだ途端に、なんだか熱くこみ上げるものが、目にはジワっとくるものがありました。ありがとうございます。
12日の夜あたり、本気で夜行バスに乗って往復しようかとも思ったのですが、ちょうど、京都文化博物館でのイベント出演やその準備で、やっぱり無理と断念・・。
諦めていたのですが、サプライズ!!

つい、先日もブエノスアイレス在住の姪や、イギリス留学中の姪と「おじちゃん達に守られてるとしか考えようがないね」という会話があったところです。

思いはいっぱいあるけど、まずは、ありがとうございます!!!!!

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