和歌山の護国神社での慰霊祭 その2

昼食後、約束の午後1時30分きっかりに、歩兵230聯隊関西戦友会会長のNさんのお宅に到着。厳密には1分くらい前だったと思います。
事務所兼お住いの玄関は、ガラス張りになっていて中からご長男さんが京都ナンバーの車を見つけてすぐに迎えに出てきてくださり、そのまま駐車位置も誘導してくださいました。そして、ガラス戸の向こうには、95歳のNさんが既にスタンバイ。
鈴谷の会長のKさんも、約束の時間より早く着いたというのにすでに、スタンバイ済みの状態で待っておられた。いずれもさすが、、と頭が下がる思いでした。

Nさんは、香港で補充として230聯隊に配属されたとか。それまでは関西出身者の多い部隊だったそうです。が、香港攻略は、開戦すぐのことなので、それ以後は大叔父と同じ動きだったので、まるで、大叔父に会ったかのような気分でした。が、大きく違ったのは、ガダルカナルには運命か、彼は行かなかった。どの部隊も留守番兵という何人かを残して行くらしく、Nさんはガダルカナルには行かない方に残ったとか。だから、聯隊の10%しか生還しなかった仲間を迎え入れる時の変わり果てた皮と骨だけの幽霊のようになった戦友を見て、本当に哀れだったと。スマトラまでは、勝ち戦だから良かったが、その後が大変だった、と言われ、その勝ち戦のお手柄話や武勇伝はおっしゃらない。
ガダルカナルから生還した仲間を迎え、そのあと、Nさん自身も岐阜の部隊を助けるために出動命令が。その出発のとき、勲章などをつけたおエラさん方が、派手に見送るので何かいつもと様子が違うなって思ったら、後でわかったことだが「玉砕してこい」ということだったらしい。
お腹はすくし、トカゲでも何でも食べようと手を出すけど、トカゲをつかむ握力もなくなるほど、へとへとに。600名以上で出た部隊の500名ほど亡くなり、100人ほどが何故か生き残った。そして、脱出の迎えの駆逐艦に乗り込むため海に向かい移動。大発(上陸用大型発動機艇)に亡霊のようになった身体を海につけながら乗り込もうとしている後ろから、杖をついたどこかの部隊の兵隊、負傷してやっと立っているだけの兵隊の「俺も連れて帰ってくれ」と悲壮に叫ぶ、しかし弱々しい声が今も耳残るとおっしゃってました。「すまん、自分自身の身体をささえるだけで精一杯なんだ。すまん、すまんな」と思いながら、やっとの思いで大発に乗り込んでほっとしたのも束の間。そのあと、迎えの駆逐艦から縄ばしごが降ろされ、海軍さんは「早く昇れ」と手をひっぱり、陸軍さんも「早くあがれ」と足を引っ張る。(実は、3メートルの波に揺られ、押し上げているつもりが、引っ張る結果に・・・)体力が落ちているので、その縄ばしごもあがれない。そのうえ、3メートルの高低差がある波。ここで私にとっては一番ショックなお話。
「うしろで、キャーキャー聞こえるな、と思ったら、大揺れする艦と艇の間に挟まれたり、海に落ちたりして何人も死んだ」
やっとの思いでここまで生還して、味方の艦まで辿りついたというのに。話には聞いても、実際、その現場にいた人のリアル証言だから、余計にショック。
駆逐艦に乗船したあと、にぎりめしを一つもらった。何と有り難かったことか。この一握りの米が無くてどんなに苦労したか。
会長さんは、珊瑚海海戦にも結果的に巻き込まれたこともあったらしい。何せ、とてもしっかりされているけれど、お話が前後すると聞いているこちらが無知なため、流れに落ちてしまいます。が、95歳ということを考えるとあまり、ひつこく聞き直すのもお疲れになってもいけないと思って、必死に聞いていました。が、やっぱり、一部、落ちてしまった。
なので、部隊がガダルカナルに行く前の話だと思うのですが、やっと駆逐艦に助けられたとき、これで助かったと思ったら海戦が始まってしまって、海軍さんから「今は、陸軍さんには用事が無いから下に降りていてください」って言われて、艦の底で、息をのみながら「いよいよ、ここでダメかも・・」なんて覚悟していたら、この時は海軍さんが勝ってくれたから生還できた、とニコッ。

そして、歩兵230聯隊戦友会発行のアルバムと実際にガダルカナルに行って生還された関西の方の手記を家でゆっくり見て返却してください、と貴重なものを貸してくださった。帰還後、約10年はマラリアで苦しまれたそうです。
約1時間たっぷりお話くださり、さぞ、お疲れになったと思いねぎらったら、ご長男さんが「ぜんぜん大丈夫ですよ」と今のお元気さを笑顔で言っておられました。そういえば、今年90歳のKさんとも1時間立ち話した・・・。いつまでも元気でいて欲しい

Nさんとの出会いのオープニングの開口一番からエンディングの締めまでこの言葉だった。
「私は、英霊に今日まで生かされてきた、と思っています。まだまだ生きて、できるだけ彼らの話を伝えたいです。私は英霊のお陰で生きているんです。」

そして、酷暑の炎天下、玄関先まで出て、見送ってくださっていました。少なくとも運転している私のバックミラーの中に見えなくなるまで・・・


追記1:急いで乱れ打ちしたので、日本語が妙な所やわかりづらいなど、ご勘弁を。

追記2:この回で書き漏れは、また後日。
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コメント

ありがとう。

利華さんありがとうございました。
私は何も知らなかった。知ろうともしなかった。それなのにこうして、偶然知った利華さんから、おじのガダルカナル戦の現状を教えてもらえました。まるで、蜘蛛の糸みたいな話ですね。「出口のない海」も途中からでしたが、みました。

Lady Himeno 様 へ

お礼を申し上げるのは、こちらの方です。
ここで公開できませんが、Himenoさんのブログを通して、永井先生の著書も読まれ、また、鈴谷の情報を永井先生にも送られ、そして、そして! 今日、私にもメールで鈴谷の情報を教えてくださった方が現れました!
その方の大叔父様は、元鈴谷の乗組員。どう考えても私の大叔父から見ると上官(直接ではありませんが、階級的には上官)にあたる方。残念ながら、その大叔父様も戦後、大活躍の後にすでに他界されていますが、すばらしいご縁をまた頂きました。
ブログに永井先生のことを上げてくださったお陰です。
心から感謝いたします!

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