津村別院特別コンサート(北御堂・大阪)

26日(金)はアストロリコデビューの翌年から毎年恒例となっている
大阪の北御堂「津村別院」でのコンサートでした。
15回目となった今年は、アストロリコ7重奏の編成で演奏のみでのコン
サート。
「お寺でアルゼンチンタンゴのコンサートとは、意外な取り合わせ!」
「煩悩を振り払う修行の場のようなお寺で煩悩の塊のようなタンゴ?」
と最初はびっくりしました。
お釈迦様に背中を向けて(お客様にとってはお釈迦様との間にアストロ
リコが立っている)演奏したこともありました。このときは、さすがに
畏れ多い気がしました。

主催の仏教壮年会さんの
「お寺は決して敷居が高い堅苦しいところではなく、もっと気軽に立ち
寄ってもらいたい」
というお気持ちと、リーダーの門奈さんの
「タンゴをもっと気軽に広く楽しんでもらいたい」
という気持ちが重なり合って、低入場料金でのこの「お寺コンサート」
が実現して15年連続開催。今では御堂筋に銀杏が実るころの恒例行事
となり、温かい雰囲気と浪速のラテン的気質でずいぶん盛り上がりまし
た。このコンサートで私自身が楽しみにしているのが、第2部の冒頭で
の法話です。この法話がまったく堅苦しくなく、笑いの中に「なるほど」
と納得できる、何故かすぅ~っと心に入ってくるお話なんですね。
だから、毎年、第2部冒頭の法話は、舞台袖で待機するのではなく、
アストロリコも舞台で一緒に拝聴するようにしています。
今年は、なぞ賭け形式で「人と人との心の輪」をお話されました。

ご来場してくださったみなさん、ありがとうございました!
来年は10月24日(金)です。
北御堂さんでお待ちしております。
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コメント

私はここ数年来、このコンサートの日はいつも仕事上の用事と重なりいけないでいます。
我が家の宗旨が浄土真宗本願寺派であることもあって、毎年、今年こそはと思うのですが、運悪くいつも重なってしまいます。

私のタンゴの友人で。神戸のO氏はこのコンサートにいかれそうで、いつも辛口の彼がコンチネンタルタンゴ、和製タンゴもアルゼンチンタンゴのゆれを感じる演奏で
すこぶるすばらしく、大いに満足されたことを聞きました。

来年こそは是非と念じています。

先のコメントに名前を入れるのを忘れました。
来年こそは是非にと念じているのはtococinoでした。
すみません。

tococino さん へ

ようこそ、おいでくださいました!
tococinoさんの守備範囲である大阪でのコンサートですのに、先日は、たいへん残念でした!
せっかく、女性演奏家は全員、赤のドレスだったっていうのに・・・またの機会をお待ちしております!
これからも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

そーだったのですか、せっかく私の一番好きな色、赤色に女性のドレスを統一していただいたのにほんとに申し訳ないことを致しました。

赤いドレス

確かに、滅多に着用しませんよね。
ライブハウスなんかでは、赤おドレスってのは、ちとキツイですが、コンサートなんかのときには着用可能な場合もありますので、「今度、行きまっせ~~」って事前に予告いただけると、ご希望にお応えできるときは着用するようにいたしましょう!!

お寺と色気

かささぎ さん へ
お久しぶりです。
せっかくコメントをくださったというのに、迷惑外来アクセス管理中に私の操作ミスでコメントを削除してしまいました。復活手段を知らないので、たまたま、画面上に残っていた画像をコピーしたので、下記にコピー掲載できました。陳謝申し上げます。m(_ _)m
以下が「かささぎ」さんがくださったコメントです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
りかさん、おひさしぶり。
お元気そうでなによりです。
私の家はお東さんとよばれる浄土真宗大谷派で、よくお寺には参りますが、どうも気になって仕方ないのは、若い人が来ないことです。こんなこといっちゃいけないのかもしれないけど、お坊様もお寺も色気がまったくないのは困ります。およめさんにくるひとがいない理由はたぶん、それだとおもう。そりゃお坊さんの仕事はたいへんだけど、ね。きっと親鸞聖人も蓮如上人も、うんと魅力的な男だったんじゃないかいな。恋愛の一つもできないでおぼうさんになってくれるな、と声を大にしていいたいです。
お寺でタンゴ、そりゃ素敵だ。きっと親鸞上人も喜んでいなさることでしょう。
私は最近、真宗の門徒が客で、玉露で有名な星野の寺のお坊様が指揮をなさる合唱会に行ってきました。仏教の歌は讃歌というのですね。荘厳でしたよ。
檀家のお世話係をしているのですが、私と同年代の働き盛りの世代はまず来ないのですよね。出不足金を払ってちゃら。なんだかへんだと思います。(でも、お寺も変わらないといけないと思います。あれじゃ客は来ない。もとい、信者はこない。葬式宗教と呼ばれてもしかたない。お寺は若い女性を呼び込む努力を真剣にすべきだとおもう。)

営業努力?

一言で営業努力っていってしまえば、非常に俗の臭いがぷんぷんしますが。。。
金儲けということではなく、意味合いが違っての営業努力は、必要なんでしょうね。津村別院さんの努力もその延長線上だと思います。神社仏閣には、日本の伝統と文化(有形無形の)がたっぷりとあり、それに触れるだけでも心の栄養になるというものですよね。そういった中に、だんだん受け継ぐものが見えてくるのでしょう。私もたいへん遅まきながら、最近、そんなことをやっと感じるようになってきました。(ちと遅すぎv-356

お寺にいただいたもの

りかさん、迷惑メールにまちがえられたのは、今月からプロバイダが変わったからです。以前のは大きいところに吸収されたので、息子に新しいところを見つけてもらいました。(ハイホーって名前、しらゆきひめみたいで気に入りました。笑)

上記を書いてから、ちょっと反省して考え直してみた。
私もお寺は行かなかった、弟が死ぬまでは。
葬式宗教っていうけど、それでいいのかもしれません。愛する身近な人の死からひらける世界が仏教だったから。
でも、23、24歳のころ、ものすごく感動したお坊様の説教なのに、その後、うんと時がたってまた、おんなじ話をきいたとき、あれ~?って感じた。おぼうさんて、このはなしはおはこだったんだなあ、なあんだ・・ってそんなかんじ。
「機縁」って言葉どおり、受けとるがわに準備ができていないといけないんでしょうね。
一番痛い苦しいときじゃないと開かない扉が厳然とあり、それが仏教の機縁だとおもう。
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