慰霊祭の心

去る10月7日(日)、和歌山県護国神社にある歩兵230聯隊の碑で慰霊祭が行われた。
私は、以前からこの日は仕事の都合で行けないことは、関西戦友会の会長N氏にお伝えしていたとはいえ、後日、N氏から届いたご報告に何故か、涙が止まらなかった。
N氏は、淡々としておられるが、その胸の奥にある傷は深く永遠に癒えないことを今更ながらに感じた。これは、先日、津村別院のコンサートに広島から来てくださった重巡洋艦「鈴谷の会」の会長K氏(90歳)からも感じた。今年は幸いにも都合がつき、秋分の日に開催された呉海軍墓地での合同慰霊祭には出席できた。2000人の参加だったそうだ。
歩兵230聯隊の慰霊祭も、呉の海軍墓地と同じように式次第がちゃんと作られて、宮司による祝詞奉上、祭文奉上、軍歌斉唱など、正式に粛々と慰霊祭は執り行われた。N氏からの報告に
「宮司 1名、戦友 1名、参列者3名」
とあった。戦友とはN氏自身のことで、参列者とは足が不自由になったN氏のために護国神社まで同行したN氏のご長男夫妻とN氏のお孫さんのこと。写真も同封されていた。私が「感謝」と記して届けた京都の和菓子も並べて奉納してくださっていた。
たった一人の慰霊祭。
「亡き人を弔う」というこは、どういことか、改めて教えられた。
心にグサっと突き刺さるっていうけど、こういう感じなんだ。
私や私の家族が行っていたなら、「遺族 1家族」と書き加えられたというものだ。仕方なかったとはいえ、悔やまれた。
N氏は、95歳。どうか、来年もお達者でこの日を迎えてほしい。10月に「鈴谷」の命日が終わり、今日、歩兵230聯隊の大叔父がガダルカナルで戦死した日を前に改めて、今ご存命の戦友のみなさんのご健勝を願う気持ちでいっぱいだ。
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コメント

戦没者慰霊祭

利華さんのこの文章にはこころがこもっています。
八女市でも今月末にあります。
はじめて慰霊祭に参拝したときの感動は忘れません。戦時中と途切れることなくまっすぐつながっているものがみえた。ことばに神経をとがらせることもなく、遺族の代表者は、一日もはやく靖国神社への総理の公式参拝をと言うことがゆるされた。それが当然の遺族の心情だと思うんで、うれしかった。
日本の政治って言葉だけの世界です。いかにうまく敗戦国で米国追従の国であるかをごまかすかの。・・中学生になるころまでは、それでも、純粋に信じた。憲法九条の純潔を。
古賀まこと議員は筑後が生んだ人で、遺族会会長です。このひとのおはなしはなぜか胸を打つんですが、でも、いい人なのかは知りません。あらたな自殺の名所となっただけの、八女郡の山奥に無意味に大きな橋を建造したり(途中で行き止まりになる)、九州新幹線ではじぶんちのふる里にも駅をつくるのどうのと、権力のぶんまわしが目に付きます。でも、だれもおとがめなし。あれはなんなんでしょうね。遺族会ってそんなに大きな後ろ盾なのかな。利権もたくさんあるのでしょうね。
でも、これだけはほんとだものね。古賀まこと議員がたとえどんなわるいうわさのひとでも、不幸な遺族の一人であったということだけは。それをおもうと、ちょっと興味がわいてくる。脚色なしで古賀まことを読みたい。

すみません。ながながと関係ないことをかいてしまった。消していいですからね。笑

純粋に何かをすること

かささぎ さん
難しい問題ですね。純粋に何かを一生懸命することっていうのは、「子供」という年代の特権なんでしょうか?
芸術家(ジャンルを問わず)の中で、純粋に没頭している方の中には、とても社会的とはいえない超個性の持ち主もいるし、常識的な模範的な人でも素晴らしい神業のような芸術をする人もいれば、まったくおもしろみのない表現もあるし・・・
こうなると、個人個人の育った環境としかいいようがないでしょうか。環境は遺伝する、ということもありますしね。

私が大叔父達の青春探しで、出会うのは、あの当時の若者達の純粋さ。あの苦境の中でも、家族=祖国を思う心、自分が生死の狭間の厳しい所にいるというのにそれでもなお、家族や祖国をいたわる気持ちに満ちている。彼らが遺していった手紙やその他の遺品から、その気持ちがすごく伝わってくるのです。だから、魅せられるんでしょうか。

今、責任ある立場に人々(それは、大会社の社長とか政治家だけでなく、何かを任されているという立場の人のこと=子供から老人まで老若男女、自分を含むすべての人、ということになりますが)は、お互いに自分以外の魂を背負いあっている、ということを改めて肝に命じる時がきていると感じます。

こんな大きなことを言いながら、実際生活にどれだけ活かされているっていうとお恥ずかしい限りですが、ゴミの始末?節電?車内の席の譲り合い?いたるところに実践できる場、チャンスは転がっているから頑張ってみます。

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管理人のみ・・・

前の投稿、間違えて管理人のみにチェックがついてしまいました。
公開にして下さって結構です。

「矜持」(コピー公開)

さくら さんの非公開になってしまったコメント。
私がPC世界に非力で、自力公開できませんでしたので、下記にコピーで公開させていただきます。


Nさんがお孫さんらに支えられて杖を突きながら玉砂利を歩く姿、神主さんの前に額づく姿が目に浮かびます。
人の見てるところではなく、戦友を思う深い自分の気持ちを大事に行動されるそういう人たちの事をどう言ったらいいか、「矜持」と言う言葉が当てはまるのではないでしょうか。
私はそういう気持ちで戦後を生きてきた人たちに感動を覚えます。(「男たちの大和」原作はそういうお話です)
11月8日、父の命日でした。
陸奥に乗っておられた方から、命日にあわせてお手紙を頂きました。
レイテ戦で戦ったすべての船の名前が筆文字でびっしり書かれたお手紙でした。
父の船「万栄丸」はそれらの船に給油をして縁の下の力持ちとして参加したわけです。
最後に11月8日と書いてありました。
もちろん「鈴谷」の名前もきっちりありました。

さくら さん へ

まったく、同感です。
本当に、私はさくらさんの後をついて回っているみたいな感じがします。少なくとも心情の面では、同じみち(経)を辿る完璧な後輩だなって思います。
輸送船というのは、どんなに大事な重要なものか、表だって戦う戦艦は給油や食料補給・手紙等あらゆる物を運んでくれる輸送船が命懸けで届けてくれるから戦えるということを改めて痛感しました。
輸送船には、たくさん陸軍の将兵も乗っている。ガダルカナルの大叔父の足跡を辿っているうちに、無事に島に着けること自体たいへんなことだということ、そこへ将兵を送り届ける輸送船が無事に戻れるとは限らないことも、徐々にわかってきました。兵士達に一番人気があったのは、手紙や甘いものを運んできてくれた輸送船だってことも。

父上のご命日と私の大叔父達の命日、近いですね。なんだか私の誕生日と近いのと同じご縁のような気がしてきます。鈴谷の名前もありましたかぁ。。。
どうってことないようで、活字に書いていただいているだけでも、その存在を認めてもらっている気がして嬉しいものですね。

来週は、東京の天王洲にある銀河劇場で6回公演のショーに出演するので、その準備で大叔父達には、少しお休みをもらっている感じです。11月6日の陸軍の大叔父の命日には、菩提寺にお願いして法要をしてもらいました。(家族欠席という不届きなことで申し訳ないですが)

95歳会長さんの続報

今朝、ちょっと気になって電話したら長い呼び出し音。
ん~~、お留守かな?と思いながら、いつ電話を切ろうか迷っていたら
「はいはい、お待たせしました!」
と、ご子息さん(たぶん60歳代)のような声。
ところが、私だということがわかると
「あ~~、まいどまいど!元気にしとってか?あんた、えらく忙しそうで何より。」
って関西人ならではのお返事がこれまた元気良くかえってきた。何と、ご本人様であった!
声が若いのにビックリ!しかも、すぐに私のこともわかり会話も実にスムーズ。両親と会話するよりもストレートに通じるから本当に凄い。もう一度、念をおしますが95歳!お元気でなにより。

おもしろいですね。

関西弁ってほんとにおもしろい。それきいてるだけで、失礼ながら、漫才みたいにおもえてしまう。
輸送船、砂糖、で連想した小説があります。野上弥生子の『砂糖』。短編です。いつか読んでみてください。感動します。(のがみやえこのやって、この字じゃないよね、旧字。)

かささぎ さん へ

「まいど、まいどぉ・・」
には、さすがの私もびっくりしました。聞き慣れていますが、若い人はあまり言いません。お商売をしている人は日常語です。同じ、関西でも厳密には違っていますが「まいどぉ」は関西圏内共通語!
でも、95歳の会長さんと私との年齢差を考えると、電話でいきなり面食らった感じです。と、同時に会長さんが私に対して年齢差なく親しみを感じてくださっているような気がして、とってもうれしかったですv-351

そういえば、もうずいぶん前、東京のど真ん中でアストロリコのメンバーの中に知人を見つけた関西人が
「まいどぉ」
って、いきなり後ろから声をかけてきたことがありました。いろいろと多目的に使える「まいど」です。

追伸

野上弥生子さんの『砂糖』。短編なら私むきかも!
さくらさん、かささぎさん、には、私にとっては活字方面の未知との遭遇をさせていただいて感謝です。
「矜持」って言葉も、実は意味を再確認してから返信しましたv-356

なにげに。

現代語でたまに「うお!いい味出してる」と感心する語に出合う。その一つがこれ。なにげに。何気なくが何気にと変化する。おもしろいですよねえ。理も通っているし。
次男と塾からの帰り道。車中で子は携帯に入れてきた音を聞く。あれ、これどこかで・・と思って聞いてた。確かめたら、ラップの「オレ達の大和」、般若という人が歌ってます。動画もあるので、ご紹介いたします。反戦歌です。いまどき珍しく真向からきました。
http://jp.youtube.com/watch?v=SqSAC5cmrZI
むすこたち、平成四年生まれごろの子の幼いころって、ポケモンソングが大流行していて、お経みたいにキャラの名を連呼してました。ちょうど、昔で言えば、落語の長い名前のおはなし、じゅげむを暗記するかんじ。それが今にずっと続いている気がしますねえ。歌詞の長さと韻を踏むこと、それぜんぶを曲にいっぱいいっぱいのせてしまう荒業。ラップにはまるきもち、わかります。

さっきの反戦歌に添えて、忘れられない俳句を。
ヒトに生(あ)れ溢れし母乳原爆忌 松尾久美子色付きの文字
色付きの文字
これ、仏教句(釈教句)だと思うんです。タイの人たちは、ヒトに生まれてきたことだけでもすごい幸運なことであると喜ぶんだそうです。ましてや母となって子をはぐくんでいる幸せ。それが理不尽な戦争暴力によって塵芥に帰する。一句には何も恨みつらみは書かれておりませんが、それだけに、訴える力が強い。まさに、なにげに訴えてきます。これぞ俳句の力だとおもうものです。
大石政則日記、まだまだ途中なのですが、母が叔母と出水にいる自分をたずねて来た。その場面。とても母はやせた。それは農作業がきついからだろうと淡々と書かれている。・・そうじゃないですよね。でも、かれはそう書く。互いに強く思いあっている。胸をうちます。

追伸

りかさま。編集作業失敗。↑の色つきの文字、という文字を消去できますれば、おねがいいたしまする。

星野村

そういえば、原爆の残り火をずーっと守っていた人、星野村の方だったよね。
八女・星野ってどうしてこう奇特な人が多いのだろ。
http://amanakuni.net/HotNews/HN_yamamoto.html

最後の特攻で生還された方も八女の方だったし。

かささぎ さん へ
すみません。私の未熟な力では、削除技ができませんでした。野晒しにされたままでごめんなさい。m(_ _)m

さくら さん へ
縁というのは、不思議ですよね。急に、関連の事柄が繋がっていくのだから・・・
もしかしたら、八女の方角に何か強い「気」があるのでしょうか?

明日から、東京で若い人たちとのショー公演です。しばらくデスクから離れます。
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